脳腸サイエンスラボ

腸内細菌由来の短鎖脂肪酸(SCFAs)が脳機能に与える分子メカニズムの最新知見

Tags: 短鎖脂肪酸, SCFAs, 脳腸相関, 分子メカニズム, 神経科学, 腸内細菌

はじめに:脳腸相関における腸内細菌代謝物の重要性

近年、脳と腸管、そして腸内微生物叢が相互に影響を及ぼし合う「脳腸相関」の概念が広く認知されるようになり、そのメカニズムの解明は活発な研究分野となっています。特に、腸内細菌が産生する代謝物は、この複雑なコミュニケーションネットワークにおいて重要なメディエーターとして機能することが示唆されています。様々な代謝物が同定されていますが、なかでも食物繊維の発酵によって主に産生される短鎖脂肪酸(Short-Chain Fatty Acids, SCFAs)は、宿主の生理機能、特に脳機能に対して多岐にわたる影響を与えることが報告されています。

SCFAsは、主に酢酸(acetate, C2)、プロピオン酸(propionate, C3)、酪酸(butyrate, C4)から構成され、結腸において高濃度で存在しますが、一部は腸管上皮を透過して門脈を経由し、全身循環にも移行します。脳機能への影響経路としては、迷走神経を介したシグナル伝達、免疫系への作用、そして血液脳関門(BBB)を透過した直接的な作用などが考えられており、各経路における分子メカニズムの詳細な理解が求められています。本稿では、SCFAsが脳機能に影響を与える主要な分子メカニズムに焦点を当て、最新の研究知見を概観します。

短鎖脂肪酸(SCFAs)の生成と全身への分布

SCFAsは、主にヒトの消化酵素では分解できない難消化性炭水化物(食物繊維など)が、結腸に生息する嫌気性細菌によって発酵される過程で産生されます。代表的なSCFA産生菌としては、Faecalibacterium prausnitziiRoseburia spp.Eubacterium rectaleなどが挙げられます。産生されたSCFAsの大部分(約95%)は結腸上皮細胞によって吸収され、主なエネルギー源として利用されるほか、様々な生理機能調節に関与します。残りの一部は門脈を経て肝臓に至り、さらに全身循環へと移行します。酢酸は肝臓を通過しやすい性質を持つため、全身循環血中のSCFA濃度は酢酸が最も高い傾向にあります。プロピオン酸は主に肝臓で代謝され、糖新生などに利用されます。酪酸は結腸上皮細胞の主要なエネルギー源であり、血中濃度は比較的低いものの、全身への影響も示唆されています。

SCFAsの脳機能への影響メカニズム

SCFAsが脳機能に影響を与えるメカニズムは複数存在しますが、主要なものとして以下の経路が研究されています。

1. Gタンパク質共役受容体(GPCRs)を介した作用

SCFAsは、特定のGタンパク質共役受容体(GPCRs)に対する内因性リガンドとして機能することが知られています。主要なSCFAs受容体としては、遊離脂肪酸受容体2(Free Fatty Acid Receptor 2, FFAR2、またはGPR43)および遊離脂肪酸受容体3(Free Fatty Acid Receptor 3, FFAR3、またはGPR41)があります。これらの受容体は、腸管内分泌細胞、免疫細胞、脂肪組織など、様々な組織に発現しており、SCFAsの存在を感知するセンサーとして働きます。

脳内におけるFFAR2およびFFAR3の発現は限定的と考えられていましたが、近年の研究により、マイクログリア、アストロサイト、さらには一部のニューロンにおいてもこれらの受容体の発現が確認されています。SCFAsがこれらの脳内受容体に結合することにより、細胞内シグナル伝達経路(例:Gi/oタンパク質を介したアデニル酸シクラーゼ活性抑制、PLC/IP3/Ca2+経路活性化など)が活性化され、神経炎症の調節、神経保護作用、神経新生への影響などが示唆されています。例えば、ある研究(Kim et al., 2020, Nature Communications)では、特定の脳領域におけるFFAR2の発現がマイクログリアの機能に関与し、脳機能や行動に影響を与える可能性が報告されています。

2. ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害作用

酪酸は、特に強力なヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害剤として機能することが知られています。HDACはヒストンタンパク質のアセチル基を除去することでクロマチン構造をコンパクトにし、遺伝子発現を抑制する働きがあります。酪酸がHDACを阻害すると、ヒストンのアセチル化レベルが上昇し、クロマチン構造が緩んで特定の遺伝子の転写が促進されます。

脳内においても、酪酸はBBBを透過して神経細胞やグリア細胞に作用し、HDACを阻害することが示されています。これにより、BDNF(脳由来神経栄養因子)やGDNF(グリア細胞株由来神経栄養因子)といった神経栄養因子の発現を促進し、神経保護、シナプス可塑性の向上、神経新生促進などの効果をもたらす可能性が研究されています(Fukumitsu et al., 2020, Molecular Brain)。アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患モデルにおいて、酪酸投与が病態の進行を遅延させる効果を示した研究例も報告されており、エピジェネティクスを介した作用が注目されています。

3. 血液脳関門(BBB)への影響

SCFAsは、BBBの機能や透過性にも影響を与えることが示されています。特に酪酸は、BBBを構成する内皮細胞のエネルギー源として利用されるほか、タイトジャンクションタンパク質(例:Claudin-5, Occludin)の発現を調節し、BBBの完全性を維持または強化する方向に働く可能性が複数の研究で示唆されています(Braniste et al., 2014, Science)。これにより、有害物質の脳への移行を防ぐバリア機能の維持に寄与すると考えられています。一方で、特定の状況下ではBBB透過性が変化し、SCFAsが直接脳組織へ到達しやすくなることも考えられます。

4. その他の間接的なメカニズム

関連研究と実験手法

これらのメカニズムを解明するためには、様々な実験手法が用いられています。

これらの手法を組み合わせることで、例えば「特定の腸内細菌種が増加するとSCFAs(特に酪酸)産生が増加し、それが全身循環を経て脳の海馬に到達し、HDACを阻害することでBDNF発現が上昇し、記憶・学習能力が向上する」といった詳細なメカニズムパスウェイの同定が進められています。

研究上の課題と今後の展望

SCFAsの脳機能研究は大きく進展していますが、未解決の課題も多く存在します。

今後の研究では、高度なイメージング技術、シングルセルオミクス解析、CRISPR/Cas9を用いた遺伝子編集技術などを組み合わせることで、これらの課題を克服し、SCFAsが脳機能に与える影響の全貌を解明することが期待されます。また、これらの知見を基盤として、腸内環境やSCFAsレベルを調節することによる、うつ病、不安障害、神経変性疾患などの精神・神経疾患に対する新たな予防・治療法の開発(例:特定のSCFA産生菌を含むプロバイオティクス、SCFAsを直接供給するポストバイオティクス、あるいは特定の代謝経路を標的とした薬剤開発など)へと繋がることが展望されます。

まとめ

腸内細菌由来の短鎖脂肪酸(SCFAs)は、脳腸相関を介して脳機能に多様な影響を与える重要な因子です。そのメカニズムは、FFAR2/FFAR3などのGPCRsを介したシグナル伝達、酪酸によるHDAC阻害を介したエピジェネティクス調節、そしてBBB機能への影響などが複合的に関与していると考えられています。最先端のオミクス技術や動物モデル、in vitroシステムを用いた研究により、これらの分子メカニズムの理解は深まっていますが、脳内での正確な濃度測定や、ヒトにおける因果関係の証明など、未解決の課題も多く残されています。今後の研究により、SCFAsを標的とした新たな治療戦略が開発され、精神・神経疾患の予防や治療に貢献することが期待されています。